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挑戦することに生き甲斐を持つとは? [少年時代]


私の子供の頃、
小さな川を走り幅飛びのように
よく飛んだ記憶があります。

①小川を跳ぶ!

クリアするとちょっとだけ幅の広いところに
挑戦しました。
目測を誤ってよく、向こうの川岸の手前に
ぽちゃんと片足つっこんだり、

飛んだと
思ったのに
ずぶずぶのところに
ズボッと
足をつっこんでしまったり、
濡らしたり
泥だらけにしたりして、

家に帰ったことがあります。

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子供の心の傷とは?-2 [少年時代]

8,何故尊敬できたか?

やはり、
そんな先生が尊敬できたかということを
明確にしていないと
腑に落ちない方もあると思います。

一つは、
出来る出来ないで差別しなかったですね。
先生がぼやかれていた話の一つをあげれば、

『男の子は授業中でもよく騒ぐし、
悪さはするけれども、
成績はそれほど悪くない、

でも
女の子はおとなしくしている。
悪さもしない。
それで、”よく聞いているんだ”と思っていると、
違っている。

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子供の心の傷とは?-1 [少年時代]


母校

1.いじめの洗礼

私が小学4年生の時、
私は、転入してきて直ぐに
いじめの洗礼に合いました。

放課後
掃除をして帰らなければならない時に
なぜか、
いつの間にか誰もいなくなくなってしまいました。

誰かに訴えたかったのですが、
仕方なくその日は一人で掃除をして帰りました。
ところが次の日はもう大丈夫だろうと
思っていたところが、なぜかみんなそわそわしていました。
帰る子もいました。

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おしゃべりの下手な少年 [少年時代]


小学校時代の母校

私の子供の頃は、
おしゃべりや
表現能力は晩生のほうでした。

インプットはできていても
アウトプットができなかったですね。

頭にイメージや絵は
描けているのですが、

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少年時代の故郷-2 [少年時代]

2.遠くへ飛びたい!

小学一年生の頃

故郷の我が家の裏に、
100mほど隔てたところに
2m幅くらいの
小川がありました。

そこは両端は田圃や桑畑が広がり、
川縁は笹藪やハゼの木、雑木が
川沿いに生い茂り、
子供時代は絶好の遊び場でした。

そこで私は遊んでいるとき
どうしても挑戦してみたい場所がありました。

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少年時代の故郷-5 [少年時代]

小5の時の思いで

昼休みが来た。
男の子達はみんな連れ添って 運動場に出た。
ベルが鳴った。
時間が来た。
しかしみんな今日は教室に入ろうとしない。
理由はない。
何となくである。
打ち合わせたように。
しかし打ち合わせた訳ではない。

20分位してからぞろぞろと、教室に入った。
先生はカンカンだった!
当然のことだった。みんな怒られるのは覚悟していた。
何も理由はない。気まぐれの反抗期だったのだろうか?

男子全員廊下に並ばされた。
「反省しなさい」といって
びんたが右から順番に飛んでいった。
悪いのは最初からわかっていたので、
誰も文句も言わない。

その後何もなかったように授業が始まった。
未だによくわからない学校での出来事の一つである。

中2の時の甘い初恋、
あの子は夕暮れ時になると
校舎の柔道部の部室を遠くから
友人と二人で眺めに来ていた。

ある時、
道場の中から外を見ると、ふと彼女と目が合った、
慌てて目を背けたときのドキドキ感!
今でもおもいだすとムネがキュンとして忘れられない。
(続く)


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少年時代の故郷-3 [少年時代]

3.大事件がおきる

この頃、
それはこの三田川(吉野ヶ里近辺)にすんでいた頃、
母が身重であった。

ところが、父はどこかへ飲みに行って帰ってこない。
その間に産気づいてしまった。

私は、母が苦しむのを横目で見ながら、
父が寄りそうなところを探し回った。

父がどこかの飲み屋で、飲んだくれているとき、
母と妹の生まれてくるのを
我が事のように心配し、
必死に産婆さんの事、父のことを
探し回っていた。

今思うと小学校にも入らない頃の
この自分は一体何者だろう?と感嘆する。
今の我が子には想像もつかない。

4.小学生になったばかりの頃

小学校に入ると、
学校が気に入ったことは一つだけあった。
それは中庭に大きな池のような水槽が有り
大きな鮒や、鯉、ナマズ、亀、などが
蓮や藻のしたに沢山潜んでいたことだった。
周りの小川にはあまりいない、
大きな魚や珍しい小動物がいた。

休み時間になると、必ず中庭に出て
その池の中の生き物たちを探し求めた。

あのころ、一つだけ学校の窮屈さが身にしみたのは
必ず、授業の始まりのベルが鳴ることだった。
その自由を抑制されることがたまらなく辛かったのが
思い起こされた。

5.初めて先生に叱られた思い出

一度だけぐずぐずしていて5分くらいかな?
遅れて、担任の教師にきつくしかられた。
それまで、親にも悪いことをしない限り、
しかられたことのない私にはかなりこたえたようだ。

それまで、
それが「イケナイこと」という意味の実感が全く無かった。
学校での規律の意味を教えられた1幕だ。

6.このころの私?

私は、このころ、頭はいろいろと自然と楽しむ為に
いろいろと活発に働いていたけれども、
全く口数の少ない少年だったような気がする。

というのは、
自宅でクラスのごく親しい友人以外は、
名前が覚えられなかったようだ。

それが証拠に、小学3年生までに
名前の記憶のある女の子は二人だけだった。
よく「何々ちゅうもん(者)がさい…?」と言って
母に笑われたものだ。

ところで、一人は両親が、その相手の親を
よく知っていたから知っているだけだった。
もう一人の子は、
目がくりくりっとして、
おかっぱのとても可愛い子だった。

それも、遠くから可愛いな~!と
無意識に思いながら眺めていただけのようだった。

それで、
当時姉(当時小6、私は小3)との会話の中で、
あの子が好きだというのに、
名前が出てこなかった記憶がある。

なんと?、
姉の方がよく覚えていて、
その子は「N K子(仮名)」さんって言うんでしょう?」と
逆に教えられたことがあった。

不思議なことだ。
私が名前も知らないのに、
姉が私がほのかに好きだった子の
名前を知っているとは?
とにかくおかっぱの似合う可愛い女の子だった。


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少年時代の故郷 4 [少年時代]

ここは筑紫次郎でうたわれた
筑後川沿いの町である。

町は世界的にタイヤで有名なブリッジストーン
靴で有名な日華ゴム、日本ゴムもここにある。
日本でも有数のゴム工場の町である。
その他久留米絣もよく知られている。
最近は久留米豚骨ラーメンもおいしさで知られつつあるようだ。

筑後川は、
上流は東西に九州を横断している。
その南に平行して、


未納山系より、北方足下を見下ろす田主丸近辺、および筑後川流域

東は、
未納山系が大分方面から耶馬渓などを見下ろしながら、
西は、
昔から有名な高良山まで続いている。

高良山は久留米市街を左手に見下ろし、
正面北に筑後川を見わたしている。
鎌倉幕府以来の天然の要害である。

南北朝時代は宮方の菊池氏4万と
幕府方の小弐氏6万が雌雄を決した地でもある。
名残の地「大刀洗」は今は地名として残るほどだ。
戦場で殺戮の限りを尽くした血糊のついた刃を、
ここで洗ったそうだ。

ここで私は小4~中2まで約5年間ほどを過ごした。
人生の中ではそれほどの年月では無いけれども
記憶の中ではもっとも印象の深い時代である。

小学4,5,6年生の頃、
この筑後平野の田園地帯で毎年駅伝大会が催された。
この緑の海原を走り抜け、筑後川の土手を駆け上がり
息を切らしながらタスキをつないだことが
この間だったような気がする。
あのころの友人達は一体どうしているのだろう?

小5の時の思いで

昼休みが来た。
男の子達はみんな連れ添って 運動場に出た。
ベルが鳴った。
時間が来た。
しかしみんな今日は教室に入ろうとしない。
(続く)


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少年時代の故郷 1 [少年時代]

1.第二の古里

小学校の頃楽しんだ第二の里は
北に背振山系を仰ぎ見、
青々とした田園地帯が四方に広がり、
南は遠く有明海まで、
東は筑後川へと果てしなく
緑の海原は続いていた。

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